かつーん……かつーん……
迷宮に靴音が響く。
この一歩が、この一歩が、この一歩が、この一歩が。
あいつに近づいていく。
シガンは暗闇を睨みつけた。
桜もちるに嘆き、月はかぎりありて
第6層。パーティはすでにこの階層の構成をおおまかに、ではあるがつかんでいた。
迷宮外周部に玄室と、それを繋ぐ回廊があり、そこからでは決して中央に進むことは出来ない。玄室の1箇所にテレポーターがあり、そこから進入することの出来る場所が中央、と思われる配置だった。
そしてパーティの眼前に暗いもやのようなものが広がっている。
テレポーター。
ここに足を踏み出せば恐らくは中央……タイロッサムへの道が開けるのであろう。
「いくぞ」
カザルが短く言って、一歩を踏み出した。
妹は可憐な少女だった。
妹は他人の悪意からも遠い存在だと思えた。
妹が結婚して、自分以外に彼女を守ることが出来るやつができるまではずっと、ずっと守ってやろうと思っていた。
だけど……
……妹は殺された。
シガンはカドルト神を祀るカント寺院の司教の息子であり、リルガミンでも最高クラスの発言力を持つ名門に生まれた。
彼が生まれて2年後に生まれた妹ともに、両親と周囲の愛情を受けながらなに不自由なく育った。
シガンは生まれたころからすでに敷かれていた、親のあとを継いで司教になるというレールをなんの疑いを挟むことなくまっすぐに進み、カント寺院に出入りするようになる。
妹は将来よい伴侶になるように、女性としての教育を施されていた。
それは将来になんの心配もしていなかった日々のこと。
遠い昔の日々のこと。
「そういやさぁ、シガンよぉ」
「なんですか?」
乱暴な女性の言葉にシガンはそっちの方向を向こう、として真っ赤になってそっぽを向いた。
司教の息子として、同年代の僧たちから敬遠されがちなシガンにたった1人だけ声をかけてくる女性、ハロゥ……しかしその服装はあまりにも大胆なものであり、腰などほとんど見えているではないか。当時純粋だったシガンには直視できない類のものだった。
「妹さん……なんつったっけ? なんとかちゃん」
「えぇ……どうしました?」
なぜハロゥから妹の話題が出るのか……妹も寺院に出入りしており彼女も妹とは面識があるのは確かではあるが。
シガンは不思議そうな顔をする。
「妹さん、なんで王宮におんの?」
ハロゥの質問の意味を理解するまでたっぷり10秒かかった。
「……は? なんのことでしょう?」
「や。この前、司祭様のお使いで王宮にいったんだけど妹さんが働いててねぇ。ちょっと話したんだけど……いやぁ、そういうのとは無縁のお嬢様だと思ってたからびっくりだねぇ」
頭が真っ白になった。
「どういうことなんだ!」
シガンはハロゥの話を聞いたあといても立ってもいられず実家に戻り妹を問い詰める。
妹はにっこり笑って答えた。
「先日、ソークス姫殿下のお茶会に招かれまして、そこでお話をさせていただきましたの……女が家に閉じこもっていてはダメだ……姫様はそうおっしゃいました。外に出て働くことの大切さを語られるあの方に賛同いたしまして、お父様とご相談して王宮で働かせていただこうと思ったんですの」
なるほど。そういうことだったか……シガンは肩の力が抜けるのを感じながら、それでも妹が立派な考えを持っていることを喜ばしく思った。
しばらくして王宮の妹から手紙が届けられる。今、妹はソークス姫殿下、アイラス姫殿下の顧問魔術師だったタイロッサム様に仕えて、その雑用を任されているらしい。
……大変だけれど働き甲斐があります。これこそが生きているということなのでしょう。
手紙にはそう書かれていた。それが最後の手紙だった。
しかしタイロッサムが叛逆したことにより幸せな日々は終わりを告げる。
シガンの実家はタイロッサムに近しい人間であった妹を即座に切り捨て、妹すらも叛逆者として処刑してしまったからだ。
シガンがそのことを知ったときには妹はすでに処刑されたあとだった。
家が憎かった。
権力が憎かった。
働くことを薦めたソークスが憎かった。
……しかし妹が死ぬことがわかっていながらそれに対し、なんの対策をとることなく叛逆したタイロッサムはもっと憎かった。
「……俺が、仇をとってやるからな」
墓を立てることすら許されない妹のことを思いながらシガンはそう呟く。
シガンが自分のことを『俺』と呼んだのはこのときが初めてだった。
「シガン、ぼんやりすんなよ」
「あ……し、してねぇって」
カザルの言葉に答えながらシガンは内心苦笑を浮かべる。さすがにリーダーだ。よく見てる……
「よし、じゃあ……いくぞ」
カザルの前には扉がある。地形から考えてこの扉か……その次くらいにはタイロッサムのところに行き着くことになるのだろう。パーティに緊張が走る。
どかっ。
音を立てて扉が蹴破られ……その中にいたのは……
「ようこそ、冒険者」
トモエは静かに佇んでいた。
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