マロールがもうない。ケイツのこの言葉にカザルはまだ楽観的だった。
「ったく、しょうがねぇな……シガン、ロクロフェイト頼むわ」
苦笑しながらリルガミンへ直帰することのできる魔法を使うように言う。ロクトフェイトは一度使うと再度覚えなおさなければなさないという特殊な魔法であり、だからこそ切り札なのだ。
シガンは珍しく青い顔をしてカザルに言う。
「さっきのファールとカザル治療のためのマディで……ロクトフェイト使い切っちまったよ」
元日に二條のきさいの宮にて白き大袿を給はりて
呪文行使者が呪文を唱えるためには精神の特定の階層に大きな負担をかけるといわれている。
呪文のレベルはこの精神の階層を示しており、呪文を行使した魔法使いはその特定の領域を疲弊させていくのだ。
これがマジックポイントとも呼ばれる魔法の行使回数であり、地図を示す魔法……デュマピックを使い切ってしまうと他の高位のマジックポイントが残っていたとしてもデュマピックは使うころができないという所以であった。
マロール……テレポートの魔法は魔導師魔法7レベルに属しており、魔導師魔法を行使できるのはケイツ、ファール、ミルーダの3人。しかしファールとミルーダは本職の魔導師ではないのでこの呪文を使うことは出来ない。
マディ……回復の魔法は僧侶魔法6レベルに属しており、ロクトフェイト……帰還の魔法と同じ領域である。そして僧侶魔法を行使できるのはシガンとミルーダの2人なのだが、やはりミルーダは本職の僧侶ではないためまだこの呪文を使うことは出来ない。
パーティはリルガミンへの帰還方法を失っていた。
「っ……やってられんな」
その後のカザルの行動は『リルガミン屈指の戦術家』の名に相応しく迅速だった。
帰還方法が尽きていたことを悟った瞬間……恐らく奥の院に到着してからずっと見張っているであろう『敵』に追撃の準備を用意をさせることなく、すぐに足での自力帰還を宣言し、キャンプをすぐにたたむとかなりの早足で歩き始めていた。
しかしカザルの、その迅速な行動があってなお、あの東西に伸びる長い通路で1度目は闇に堕ちた騎士たち、2度目は光の玉を引き連れた縞模様の巨人という2度の戦闘を回避しきれず、もはやパーティは死人こそいないものの満身創痍であった。
しかし、ようやくにして……
「ふぅ」
レイラが溜め息をつき、ファールがムラマサを油断なく構えたまま通路の逆側を警戒する。
第5層へと向かう階段のある部屋、その扉の前にようやくパーティは達していた。
ケイツが扉に手をかける。ケイツ自身が現在使用できる呪文は2、3、6レベルの呪文のみであり、しかもその数も少ない以上自然と切り札的な扱いとなってくるため、せめてドアをあけ、前衛が室内に侵入したときに隊列を整えやすいようにすることだけが今の彼女の仕事であった。
ドアの向こう。さきほどこの場所を通ったとはいえ、この通路でも2度の戦闘に巻き込まれた以上、この向こうにも敵がいると考えたほうが自然だろう。
「……」
シガンの顔に緊張が浮かび、ミルーダも扉を……恐らくその向こうにいるものを睨みつけるように眉を寄せる。
「ケイツ、オーケーだ」
カシナートの剣を構えたままカザルが指示をだし、その一瞬後、ケイツがドアを開けた。
「へっ?」
一番最初に間抜けな声を出したのはシガン。
部屋の中から、パーティが予想していたような襲撃はなにもなかった。
「ん~?」
ファールが眉を寄せて困った顔をする。
「へぁ」
緊張していたものが解けたのかレイラも情けない声を漏らした。
「いやぁ、なんもいねぇいねぇ。でも5層もクリアしなきゃ帰れねぇし、とっとといこうぜ」
シガンが室内、その中心の階段に向かおうと一番に走り出す。
サムライは気を使い、気を操り、それにより戦う職業といわれる。
気とはそれほど珍しいものではない。誰かが後ろにいれば『気配』は感じることが出来るだろう。
『気配』が消えていたとしても、相手に対しての害意があれば必ず『殺気』は放出される。むしろ『殺気』を使うことによって『気配』を消していると考えればいいだろう。
そういったなにかしらの『気』を使い、戦い、ときには相手の『気』を読むのがサムライであった。
……シガンはサムライでなくロード。
部屋に一番最初に侵入したのがファールであれば避わすことができただろう。
「シガン、上っ!」
ファールの注意は間に合わなかった。シガンはいきなり空中に具現化した巨大な腕に吹き飛ばされ、そのまま壁に激突し、ぴくりとも動かない。
「シガ……ッ!」
ミルーダがそちらに駆け寄ろうとするもののまずは敵を倒さなければ……隙を見せればどうなるかわからない。
腕……いや、敵はもはやほぼ全身が具現化しつつあった。
あの苦戦した氷の巨人にも匹敵するほどの巨体。しかしその下半身はもやのように曖昧になっており、空中に浮かんだままその屈強そうな上半身でパーティを威圧してくる。
あまりにも醜いその容貌にケイツは小さな声で呟いた。
「スプリガン……!」
……シガンはぴくりとも動かない。